I can't say ” I love you”.
 


無謀中の無謀だと、いってくれてもかまわない。そんなこと自分で理解しているつもりだし、(大体、言われないとわからないなんて、ただの常識知らずじゃないの)(いやそれはもう常識知らずの域をこえてるね)

 「春樹はさ、」

 見慣れた部屋の隅に座ってクッションをもて遊んでいた私が、急に口を開いた。机に向かって、週末課題をしていた一覇はゆっくりとこちらを振り返り、「いきなりなに」と聞いてくる。(多分、一覇はこの話題がスキじゃない)

 「言っていいの?」
 「まどかが言い出したんじゃん」
 「いや、だって、なんか、・・・いやそうだから」
 「別に」
 「(うそつき・・・)」
 「・・・・・・」
 「・・・・・・」
 
 沈黙が続いて、私の部屋よりきれいに片付いてある一覇の部屋には、遠くから聞こえてくるバイクのエンジン音だとか、犬の鳴き声だけが響いている。(だけど、それはとても居心地の悪い空間だと思う)(少なくとも私のとって)だけど、この沈黙を破るのを私は嫌う。嫌いなんじゃなくて、怖いから破らない。だからたいてい、一覇が口を開く。今日みたいに。

 「・・・春樹さんがどうしたんだよ」  

 ため息交じりにそういった。私はもう一度、思考を戻して、言った。

 「・・・春樹、は、存在しないのか、な」

 言ってしまった。一覇の眉が訝しげに歪んだ。私は、言ってしまえば「そうなんだよ」と、自答できるし、理解もできる。(そうか、春樹は存在しないのか)

 「なに、それ」
 「いや、別に。でもそうでしょ」
 「そうだね、」
 「ちょっとは、否定してよ」

 「否定してほしいわけ?」

 こういうときの一覇に、同情も何もない。(そんなことわかってたつもり、だったけど)

 そうだ。『春樹』なんて、実は存在しないのだ。確かに、私は彼と話して、彼の思考に触れたけれど、彼の体温には触れていない。触れられなかった。だって、彼の体は、佐和子さんのものだ。春樹のものじゃない、もちろん、私のものでも、ない。

 佐和子さんの声、体温、長い髪、ピンク色に塗られた爪、彼女の名前が入った保険所、そして、春樹の思考。どれも、現実なのに、そこに存在すべき佐和子さんの思考はなかったし、春樹の声も、体温も、見たこともない髪の毛や、おそらく男らしい爪や、もしかしたら免許書だってもってるのかもし、れない。白い壁の病室と、パステルカラーの大きなドットが壁紙になっている小さなカウンセラー室で、誠先生も春樹の思考にだけ触れているのかもしれない。(あぁ、でも彼は意外に人見知りをする人だから、もしかしたら誠先生はあったこともないのかもしれない)(春樹が、佐和子さんの中で何を考えているのか、あのユキって女の人に聞いただけなのかもしれない。)

 「無謀だよねぇ、やっぱ」
 「わかってんなら聞くなよ」
 
 うるさい、バカ。男ならここで女の子を慰めて株を上げようとか考えないのか、お前。(でも、いまさら一覇が私に優しくしてきても気持ち悪い)でも私は、勝手に一人で話を続ける。多分もう、答えは返ってこない。それでも、一覇の右手はシャーペンをもったまま、全然動いていないから、話を聞いているということくらいわかる。

 「治療のひとつでね」
 「佐和子さんが治るかもしれないって喜んでたの」
 「治るっていっても、体の病気みたいなんじゃないんだけどね」
 「それでね、」


   「春樹は消えてしまうかもしれない」

 (どんな気持ちでそのときを、彼が迎えるのか、だけど、彼はやさしいし、本当に佐和子さんのことを大切に、愛しているから、彼女のためなら、自分が消えることすら笑って許すんだ)私に「ありがとう」といって、佐和子さんの顔で、声で笑ったときみたいに。あの時、確かにそれは佐和子さんのものだったけれど、でも和子さんはきっと、どんなに努力しても、あんなふうに笑えはしない。それくらい、しか、私にはわからない。

 「春樹の記憶だけ、佐和子さんに残して」

 「春樹は消えてしまうんだって」

 「もともと春樹は存在しないのかもしれないけど」

 「ねぇ、」

 体も、声も、体温も、爪も、保険証も持っていない、だけど彼は考えて私に、「ありがとう」といってくれた。それでも、彼は「統合」という形で、私の前から、消えてしまうのだという。誠先生も、それについて何も言わない。佐和子さんはどう思っているのだろうか。彼女はそのことで一生十字架を背負うつもりなのだろうか、それともこれは、冤罪なのだろうか。

 「私は春樹のことが好きだといっても、消えてしまうんだって」

ねぇ、

笑ってくれてもかまわない。無謀だといって、バカじゃないのかといって、存在しない人間だといって、そういうのをわかっていながら、私は彼が消えてしまうのを恐れている。思考、彼の笑い。いって佐和子さんに統合されたからといって、多分、あの笑いはもう見れなくなってしまう。

 「・・・仕方、ないだろ」

 かすれた一覇の声が、なんだか妙に切なくて、私は持っていたクッションに顔をうずめた。わざと、酸素を求めるように大きく呼吸を繰り返して、むせ返りそうな佐和子さんの香水の匂いを思い出して、あれは到底、春樹には似合わないわ、と心の中でつぶやいた。

 (あの香水は、一覇が佐和子さんにあげたものだと、春樹がさも辛そうに言っていたのを思い出して、私は一覇が心底にくいと思ってしまった)


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